History
肱川産業の歴史
肱川産業株式会社の
成り立ち
昭和9年春、23歳の青年が、自分の可能性を信じ、大洲の片田舎から、一人新天地満州へ旅立ちます。青年は苦労しながらも林産業の会社を立ち上げますが、終戦で全てを失います。故郷大洲にたどり着いた青年は再び立ち上がります。肱川に自生する竹に目を付け、熊手等の竹製品を製造する会社を立ち上げます。肱川産業の誕生です。しかし時代は変化します。後を継いだ長男は、竹製品の需要の減少に直面し、もがき苦しみながらも、妻の父の勧めに従い、損害保険の代理店事業を立ち上げます。これが現在の肱川産業です。
Philosophy
肱川産業の強み
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11947年の創業以来、
70年以上に渡って地域に密着地域の発展なくしては企業の発展もありません。創業者冨永歓市は大洲市議会議員、大洲商工会議所会頭職を務めました。現在でも大洲商工会議所、大洲青年会議所、大洲商工会議所青年部、松山商工会議所青年部、消防団等で地域の活動に積極的に参加しています。
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240年以上の保険代理店実績
継続は力なり。昭和50年に損害保険代理店事業を始めると、昭和58年には信頼の証である特級一般代理店の認定を受けました。平成31年には三井住友海上火災㈱からプロ新特級AAの認定を受けました。また、平成8年からは生命保険も取り扱っております。
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3お客様数「 3595 」
お客様の数は信頼の証と考えます。肱川産業では大洲と松山を中心に、法人のお客様305社、個人のお客様3290名の契約をお預かりさせていただいております(令和4年3月末現在)。我社は今後ともお客様の笑顔のために誠心誠意努めてまいります。
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413億8千万円
「支払い」に強い肱川産業保険金のお支払いこそ保険代理店の誇りです。平成30年7月7日(土)、西日本豪雨の影響で未曽有の洪水が大洲を襲いました。肱川産業では鑑定人と被災現場を一軒一軒訪れ、火災保険・自動車保険あわせて約13億8千万円のお支払いをさせていただきました。
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5主力は30歳代~40歳代
社員が若い肱川産業常若(とこわか)。肱川産業の魅力は社員の若さです。現在の社員の主力は30歳代~40歳代で保険代理店の中ではかなり若いと思います。ただし、今の状態が良くても、時を経るごとに会社は古くなり、やがては朽ち果ててしまうでしょう。肱川産業では、積極的に若い社員を採用して育てることで、魅力的な若い会社であり続けます。
Number
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